家康のマネジメント
戦国時代を統一した信長の成功が、軍事戦略と経済戦略にあったとすると、300年の時代を創った徳川家康の戦略は、時代を見据えた、人事組織戦略にあったと言えなくもない。
彼は当時の中国で、学問に過ぎない儒教の学者である藤原惺窩、林羅山を呼んで、儒教を現実の政治に落とし込んだ。
これは、武力のみで国を治める事に限界を感じたためだと言われている。
つまり、学問の活用が、時代を制したのではないか、と言われている所以だ。
「人の一生は、重い荷物を背負って遠い道のりを歩んで行くようなもの、急いではならない。」
よいう有名な遺訓も、儒教の学びであるらしい。